折口信夫 『死者の書・身毒丸』 中公文庫
「思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。」
(折口信夫 『死者の書』 より)
折口信夫
『死者の書・身毒丸』
中公文庫 お-41-2
中央公論新社
1974年5月10日 初版発行
1999年6月18日 改版発行
2008年12月20日 改版11刷発行
223p
文庫判 並装 カバー
定価590円+税
カバー写真: 「大津皇子の眠る二上山」(入江泰吉/奈良市写真美術館)
新字・旧かな。本文中に図版(モノクロ)5点。
中公文庫版初版は『死者の書』と「山越しの阿弥陀像の画因」を収録、川村二郎の解説が付されていましたが、改版では「身毒丸」が追加され、川村二郎の解説も新しく書き下ろされています。図版も増補され、文字も大きくなっていてよみやすいです。
「死者の書」は要するに「大津皇子」と「南家郎女」の時を隔てたグノーシス主義的ラブストーリーであって、現世的な時間を無にして永遠の時間に入ることによって成就されますが、折口信夫は、「孤児」的存在の、現世のものではない、なつかしい何者かへの「恋」(乞い)にこそ、「信仰」の起源を見ていたのではなかろうか。
カバー裏文:
「古墳の闇から復活した大津皇子の魂と藤原の郎女との交感。古代への憧憬を啓示して近代日本文学に最高の金字塔を樹立した「死者の書」、その創作契機を語る「山越しの阿弥陀像の画因」、さらに、高安長者伝説をもとに“伝説の表現形式として小説の形”で物語ったという「身毒丸(しんとくまる)」を加えた新編集版。」
目次:
死者の書
山越しの阿弥陀像の画因
身毒丸
解説 (川村二郎)
◆本書より◆
「死者の書」より:
「記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰(ダレ)なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。」
「をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女(ミコ)――おれの姉御(ゴ)。あのお人が、おれを呼び活けに来てゐる。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御(オン)神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、触(サハ)つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止(トマ)つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開(ア)けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日(テンポ)に暴(サラ)されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今(インマ)の事――だつたと思ふのだが。昔だ。」
「うつそみの人なる我や。明日よりは、二上(フタカミ)山を愛兄弟(イロセ)と思はむ
誄歌(ナキウタ)が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。(中略)あの音がしてる。昔の音が――。」
「……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(ツマ)なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。」
「大変だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌(ハカマ)は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。」
「くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這ひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。」
「こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女(イラツメ)は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下(モト)から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現(ウツ)し世(ヨ)の目からは見えぬ姿を惟(オモ)ひ観(ミ)ようとして居るのであらう。」
「そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴(ヤツコ)は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎めるやうな声をかけた。女人の身として、這入ることの出来ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。」
「姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を観じ入つてゐるのである。寺奴(ヤツコ)は、二言(コト)とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/゛\と岡へ上つて来た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/゛\と走つて、塔のやらひの外まで来た。
こゝまで出て御座れ、そこは、男でも這入るところではない。女人(ニヨニン)は、とつとゝ出てお行きなされ。
姫は、やつと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖のつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる気持になつて居た。
山ををがみに……。
まことに唯一詞(ヒトコト)。当(タウ)の姫すら思ひ設けなんだ詞(コトバ)が、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下(ボンゲ)の家々の語とは、すつかり変つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩(ハイ)には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家(ナンケ)の姫は、即座に気のふれた女、と思はれてしまつたであらう。」
「此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよく(引用者注:「よく」に傍点)する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習(ナラハ)しである。春秋の、日と夜と平分(ヘイブン)する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此為来りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行(ギヤウ)として、この野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。」
「万法蔵院は、実に寂(セキ)として居た。山風は物忘れした様に、鎮まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上(フタカミ)の頂は、広く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、(中略)何時かこゝまで来て居たのである。(中略)門の閾から、伸び上るやうにして、山の際(ハ)の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏(タソガレ)だ。
男嶽(ヲノカミ)と女嶽(メノカミ)との間になだれをなした大きな曲線(タワ)が、又次第に両方へ聳(ソヽ)つて行つてゐる、此二つの峰の間(アヒダ)の広い空際(ソラギハ)。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀(ハクギン)の炎をあげて来る。山の間(マ)に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。さうして暫らくは、外に動くものゝのない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上(ヲノヘ)の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顔ばかりは、ほの暗かつた。
今すこし著(シル)く み姿顕したまへ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉(タナビ)き、次第々々に降(サガ)る様に見えた。
明るいのは、山際(ギハ)ばかりではなかつた。地上は、砂(イサゴ)の数もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂。塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、昼より著(イチジル)く見え、自(ミヅカ)ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれ/\に、雲は揺曳して、そこにあり/\と半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清(スヾ)しく見ひらいた。軽くつぐんだ脣は、この女性(ニヨシヤウ)に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低(タ)れて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御(ミ)姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行つた。まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの/゛\と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端(ハ)に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。」
「あくる日、絵具(エノグ)の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮(ハヤ)りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟で謂へば、五十条の大衣(ダイエ)とも言ふべき、藕糸(グウシ)の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描(スミガ)きなしに、うちつけに絵具(エノグ)を塗り進めた。美しい彩画(タミヱ)は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る楼閣伽藍の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫(メカヾヤ)くばかり、朱で彩(タ)みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青(コンジヤウ)の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画(カ)きおろされた。雲の上には金泥(コンデイ)の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の、命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居るのであらう。やがて金色(コンジキ)の雲気(ウンキ)は、次第に凝り成して、照り充ちた色身(シキシン)――現(ウツ)し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。
郎女は唯、先(サキ)の日見た、万法蔵院の夕(ユフベ)の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩画(タミヱ)の上に湧き上つた宮殿(クウデン)楼閣は、兜率天宮(トソツテングウ)のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重(シヂフクヂユウ)の宝宮の内院(ナイヰン)に現れた尊者の相好(サウガウ)は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓(ト)めて描き顕したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆(ホヽ)けて居るばかりであつた。
郎女(イラツメ)が、筆をおいて、にこやかな笑(ヱマ)ひを、円(マロ)く跪坐(ツイヰ)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。」
「姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様(ヱヤウ)は、そのまゝ曼陀羅の相(スガタ)を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身(シキシン)の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻(マモ)る画面には、見る/\、数千地涌(スセンヂユ)の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢(ハクジツム)のたぐひかも知れぬ。」
「山越しの阿弥陀像の画因」より:
「四天王寺西門は、昔から謂はれてゐる、極楽東門に向つてゐるところで、彼岸の夕、西の方海遠く入る日を拝む人の群集(クンジユ)したこと、凡七百年ほどの歴史を経て、今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる西の宮に向つて、くるめき入る日を見送りに出る。此種の日想観なら、「弱法師」の上にも見えてゐた。舞台を何とも謂へぬ情趣に整へてゐると共に、梅の花咲き散る頃の優(イウ)なる季節感が靡きかゝつてゐる。
しかも尚、四天王寺には、古くは、日想観往生と謂はれる風習があつて、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行つたのであつた。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。観音の浄土に往生する意味であつて、淼々たる海波を漕ぎゝつて到り著く、と信じてゐたのがあはれである。一族と別れて、南海に身を潜めた平維盛が最期も、此渡海の道であつたといふ。
日想観もやはり、其と同じ、必極楽東門に達するものと信じて、謂はゞ法悦からした入水死(ジユスヰシ)である。そこまで信仰におひつめられたと言ふよりも寧、自ら霊(タマ)のよるべをつきとめて、そこに立ち到つたのだと言ふ外はない。
さう言ふことが出来るほど、彼岸の中日は、まるで何かを思ひつめ、何かに誘(オビ)かれたやうになつて、大空の日(ヒ)を追うて歩いた人たちがあつたものである。」
「身毒丸」より:
「身毒は、一夜睡ることが出来なかつたのである。今の間に見た夢は、昨夜の続きであつた。
高い山の間を上つてゐた。道が尽きてふりかへると、来た方は密生した林が塞いでゐる。更に高い峯が崩れかゝり相に、彼の前と両側に聳えてゐる。時間は朝とも思はれる。又日中の様にも考へられぬでもない。笹薮が深く茂つてゐて、近い処を見渡すことが出来ない。流れる水はないが、あたり一体にしとつてゐる。歩みを止めると、急に恐しい静けさが身に薄(セマ)つて来る。彼は耳もと迄来てゐる凄い沈黙から脱け出ようと唯むやみに音立てゝ笹の中をあるく。
一つの森に出た。確かに見覚えのある森である。この山口にかゝつた時に、おつかなびつくりであるいてゐたのは、此道であつた。けれども山だけが、依然として囲んでゐる。後戻りをするのだと思ひながら行くと、一つの土居に行きあたつた。其について廻ると、柴折門があつた。人懐しさに、無上に這入りたくなつて中に入り込んだ。庭には白い花が一ぱいに咲いてゐる。小菊とも思はれ、茨なんかの花のやうにも見えた。つひ(引用者注:「つひ」に傍点)目の前に見える櫛形の窓の処まで、いくら歩いても歩きつかない。半時もあるいたけれど、窓への距離は、もと通りで、後も前も、白い花で埋れて了うた様に見えた。彼は花の上にくづれ伏して、大きい声をあげて泣いた。すると、け近い物音がしたので、ふつと仰むくと、窓は頭の上にあつた。さうして、其中から、くつきりと一つの顔が浮き出てゐた。
身毒の再寝(マタネ)は、肱枕が崩れたので、ふつゝりと覚めた。
床を出て、縁の柱にもたれて、幾度も其顔を浮べて見た。どうも見覚えのある顔である。唯、何時か逢うたことのある顔である。身毒があれかこれかと考へてゐるうちに、其顔は、段々霞が消えたやうに薄れて行つた。彼の聯想が、ふと一つの考へに行き当つた時に、跳ね起された石の下から、水が涌き出したやうに、懐しいが、しかし、せつない心地が漲つて出た。さうして深く/\その心地の中に沈んで行つた。」
こちらもご参照ください:
川村二郎 『内部の季節の豊穣』
『伝奇ノ匣5 夢野久作 ドグラマグラ幻戯』 (学研M文庫)
内田善美 『星の時計の Liddell ①』 (全三冊)